6mのパイプを運ぶ



僕のアパートでは共同受信のテレビアンテナがなくて、テレビを見たい家庭は個別にアンテナを立ててケーブルを引く必要がある。だから、アパートの屋根には、いくつもアンテナが立っている。住宅が密集したスラムになるとこの光景は圧巻で、掘建て小屋から空に向かって伸びるいくつものアンテナ群は、インスタレーション・アートさながらである。

取り付けの作業は大工と管理人がやってくれるのだけど、アンテナとケーブルとポールは自分で買ってきてとのこと。幸い、歩いて15分ほどのところに金物類を扱うショップが集合するエリアがあったから、さっそくポール目当てに出かけた。条件は3〜4mくらいの金属ポール。なんでかちょうどいい長さだけがなくて、2.5mか6mかの選択を迫られることになって、短くて足りないより長すぎるくらいがいいだろうと思って、6mのポールを選んだ。

ナイロビの道では素手でいろんなものを運んでいる人を目にするから、6mという長さには少しも躊躇しなかった。みんなと同じように素手で家まで運べばいいだけ。もちろんこれが東京だったら、ずいぶん覚悟は異なると思う。6mのパイプを素手で運ぶには道が入り組んでいて、人が多くて、不自由だということもあるし、何より作業着でも着こなしていない限り人の目が気になるはず。その代わり日本だったら、ホームセンターで購入して配送サービスにお願いするか、一時間以内無料とかのトラックを借りて自宅まで運んでいたと思う。もしかしたら、伸縮可能な物干竿なんかを購入すれば、もっと簡単に解決できることかもしれない。

パイプを持ち上げたら、思ったより重かった。立てて持つには重すぎるうえに長くて電線にひっかかるし、横向けで持つにはいろなん人やモノにぶつかるから、進行方向に向かって真っすぐにかまえるのが一番いいということは、持ち上げてすぐに勘でわかった。それでも、重いからといって両手で持つと肩を90度曲げながら歩くことになって、かなり辛い。どうやら、片手でバランスをとりながら持つのが一番らしかった。

前後のバランスを崩すとどちらか一方の先が地面にぶつかる震動に焦るし、左右にぶれると円運動によってポールの先が思いのほか遠くまで移動して何かにぶつかりそうで焦る。ただ、前後左右のバランスさえ上手く保てばパイプと一体になる気分さえ覚えた。これは、身体感覚を拡張/制限することによって身体を再認識するようなワークショップの一種だと気付いた。



「6mのパイプを運ぶ」というナイロビにおける日常的なお題は、それだけで日常を再考するワークショップのテーマになり得る。あるいは、何でも素手で運んでしまう人々の光景を新しい人間のシルエットとして考察すれば、どんな最先端のファッションよりもインパクトがある。守られたステージ上ではなく、日常にいきなり、しかもきわめて普通に、現われてくるわけだから。

ところで、アンテナ用に購入した6mのパイプは、やっぱり長すぎた。予定より一段下の階からパイプを設置することになって、なんと一番長いのに一番低いという結果になってしまったのだ(写真上)。

2012年12月9日 西尾美也

(ちなみに、他の地域に先だってナイロビではちょうど今月中に全面デジタル放送に移行される予定で、そうなると、受信機を手に入れてテレビを見られるのはナイロビ市の人口の約20%だけだという統計もある。来年3月の大統領選に向けた政府のたくらみだという指摘もあり、気が気でない。[前回の選挙ではテレビでの開票速報が突然中断し、それまでの結果がくつがえされる形でキバキ候補の勝利が宣言されたという])

Muguka



About one of the most common sight in Nairobi suburbs and its environs, see a pale lost looking guy selling a paper bag full of leaves, fanning over it with a piece of carton or anything to keep it fresh for the longest time possible until most or all of his stock is sold. Muguka is the newest legal and cheap thing out there to keep you busy all night, if you are against women for whatever reason.

Like equity bank that sprung up out of the blue, muguka aka goks came from zero to hero, replacing the famous miraa that became expensive, rare and dancing around the thin line of legal-or-not. Miraa addicts all turned to goks and the trick worked so well since both gave the same effect; zero sleep, allowing one to conduct their nighttime business without the bother of heavy eyes.

The other thing about goks is people chew it anytime, not just at night, without raising eyebrows. The sad part is it kills appetite by numbing the senses of smell and taste. Taken with chewing gum, peanuts and a bottle of soda whose cap has been pierced open using a nail to allow only drop by drop drinking, goks also goes along well with some native roots we call mgombero and muda; I have no idea what they are called in English, but someone once said the former is chamomile, I didn’t believe them, still don’t.

I haven’t tried a lot of goks or miraa myself, save for the few times I was trying to look trendy to win a girl or just blend in. I however often forgot the rule and swallowed after chewing for sometime, messing up my stomach a great deal. Experts will warn you never to swallow.

November 22, 2012 David Omondi

ケニアのいいとこいやなとこ(ベナン滞在編)



滞在制作の仕事で、2012年11月の約一週間を西アフリカのベナン共和国という国で過ごした。前回のイギリス滞在時と同様に、ケニアの何が恋しくなって、何がやっぱり嫌だと思ったか、ここに書き留めておこうと思う。

いいとこ

英語(ベナンの公用語はフランス語だから、単純に意思疎通ができなくて困った。ケニアの公用語は英語だから通じるというだけでなくて、国語であるスワヒリ語の発音が日本語に似ているからか、英語の発音にとても親しみを感じる。ネイティブへの憧れとかなくて、英語を単なるツールとして使いこなしている感じがすごくいい。)

日陰/家の中(ナイロビは標高が約1600mと高く、アフリカというイメージに反してとても過ごしやすい。太陽の光を直接あびると暑くても、日陰に入ると涼しいし、特に家の中では一年を通してまったく空調がいらないほど快適。)

大都会(ナイロビは大都会であることを再認識。便利であるだけでなく、アフリカの中の大都会というところがポイントで、そのことのいろんな矛盾がやっぱり面白い。)

活気/好奇心(ベナンの人はフランス語を話すからか、とてもおとなしい印象だった。アジア人の僕にもあまり興味を持たず、何かと隙をみつけてはがっついてくるケニア人が少し恋しくなった。)

観光資源(観光でサファリとかマサイとかってどこかでステレオタイプと思ってしまっていたけど、やっぱりそれはそれでとても大きな魅力の一つ。)

いやなとこ

料理(ケニアの料理が嫌というわけでもないけど、ベナンでは何を食べても確実に美味しかったのは事実。味付けのバリエーションが多いし、一品一品にシェフのこだわりを感じた。それに比例するように接客のサービスもいいし。比較したら、どうしてもケニアは残念だなという感想を持たざるを得なかった。)

2012年11月14日 西尾美也

行きつけの服屋さん



家の近所に行きつけの服屋さんがある。だいたい金曜の夕方にしかやっていないお店。といっても店舗はなくて、路上に服を広げているだけ。ここはキベラというナイロビ最大のスラムに近くて、夕方になると働き口の多い工業地帯から多くの人が徒歩でキベラに向かって帰ってくる。つまり、帰りの通勤ラッシュに合わせてお店を開くということ。
(スラムと工業地帯に挟まれた我が家の立地は、あまり自慢できるものではなさそうだ。)

なにより、路上に服を広げて空間を一変させてしまうスタイルが好きだし、売られている服にひと工夫あるのが気に入っている。どんな工夫かというと、既存のTシャツやポロシャツを土台に、袖を入れ替えたり、胸のところに別布をあてたり。不器用にパイピングも施している。

要は、服のパーツを入れ替えて新しい服を作っている。

あまりに聞き慣れたフレーズ。そう、これはまぎれもなく僕のデビュー作である《スクランブル・クローズ》《ビタミンT》の発想に通じているのである。

不器用で不安定な完成度というのも、一般参加者の手癖を活かす「ワークショップ」で馴染みの考え方に通じる。たとえば、きれいな工業製品より、子どもたちが作ったものに愛着がわく場合に似ている。
(そもそもスラムの住人に向けて販売されているわけだから、僕の好みはあまり共感されるものではなさそうだ。)



実際、同じようなデザインの服を着たケニア人を見かけることも多い。ある種の流行現象である。ケニアではサッカーが人気があるから、こういうユニフォームっぽいデザインが好まれるのかな?というのは、僕のテキトーな推測。ケニアでは2002年から2007年くらいにかけて、長袖の上に半袖を重ねるとか、半袖の上にタンクトップを重ねるとか、長ズボンに短パンを重ねるというファッションが流行ったからかな?というのは、友人ケニア人のテキトーな推測。いずれにしても、はやりの服を扱うショップ?が家の近くにあるのが嬉しい。

ナイロビのファッションについては、Web showで「ナイロビ・コレクション」を展開しているので、ぜひご覧いただきたい。世界中から集まる古着をトレンドにとらわれず自在に着こなすケニア人のファッションは、時に型破りで斬新なのだ。ナイロビ・ファッションを分析して模倣した西尾工作所ナイロビ支部のメンバー3名もモデルとして紛れているが、メンバーの一人はケニア人だから、まあ見破ることは不可能だろう。

6月にロンドンに行ったときに、お洒落なロンドナーのファッションや振る舞いを模倣するアジア人を多く見て、気持ちの半分はバカにしたけど、半分は勇気づけられた。僕は、僕がお洒落だと思うナイロビアンを模倣すれば良いと教えてくれたから。

2012年10月31日 西尾美也

歩道橋を△△に。



前回の投稿で「条件を変換するアート」についてまとめた。
僕にとってケニアが面白いのは、そんなアートにも似た条件変換行為が、ごく日常的に行なわれているということ。

○○を△△に。
ケニア人に見られる条件変換の技術を、前回と同じように羅列してみる。
これは言い換えれば、僕にとってのインスピレーション源ということ。

路上を商店に
タイヤをサンダルに
レジ袋を雨よけに
線路脇を商店街に
渋滞の道路を商店街に
身体をお店に
ゴミを商品に
頭上を荷台に
乗り合いバスをディスコ風に
歯をハサミに
道ばたの植物を爪楊枝に
……

それぞれの具体的な紹介は別の機会に譲るか、僕たちのプロジェクトという形で改めてお見せできればと思う。

今回はひとつだけ、もっとも衝撃的だった条件変換について。

ナイロビで道路を渡るのは命がけで、横断歩道はほとんどないし、あってもほとんど機能していない。車の流れのわずかな隙を狙って道路を渡るから、いつもとても危険。
そういう意味では、

どんな道路も横断歩道に

というのも一つの条件変換と言えるかもしれない。
でも実際、交通事故も多いだろうし、これはあまり良くない例。

部屋にこもって仕事をすることが増えたから、散歩がてら家の近所を歩いていた時のこと。普段はついついケニア人を真似て危険な道路を渡っていたから、あっても利用したことのなかった歩道橋。今日は運動だからということで、歩道橋の階段を登りはじめた。上から眺める普段と異なる風景も楽しみに。

誰もいないけど、階段を登りはじめてすぐに異臭がした。「夜にホームレス?」という僕の推測より、「トイレ?」という妻の方がより的確だった。なるほど、公衆トイレが少ないから、みんなここで小便をしているのか、気持ち悪い、と思いながら、運動と道を渡る目的のために、階段を登り続けた。

階段を登り終わって通路にむけて体をひねった時に、衝撃が襲ってきた。
「小」ではなく「大」だったからである。それも一つや二つではない。数百とある。ナイロビにも放牧中の牛の群れがいたりして、大きな糞が道ばたに落ちていることは珍しくないけど、ここは、歩道橋の上。階段にもなくて、手すりというか塀に隠れて下から見えないところに大量にある人間の糞。座って用をたしている姿が妙にリアルに想像できてしまう。真ん中に一本、ぎりぎり歩けそうな幅が申し訳程度に確保されているのが何より人為的である。そんな配慮、まったく御免だ。渡れるはずがない。

予想だにしない普段と異なる風景をあとに、僕たちはそのまま階段を引き返すしかなかった。せっかく歩行者の安全のために作られた歩道橋をトイレにしてしまうのだから、これは本当に良くない例だし、ケニアの恥だし、大きな問題である。

これからの人生、歩道橋といえば、いつもこのことを思い出してしまいそうで悲しいが、その時の自分の反応「うわ!!えぇ〜!そういうことかぃ、うわ〜〜すごいなマジで」というような感覚は、一応大切にしておきたいと思う。

2012年10月12日 西尾美也

Mwakenya

Also known as mwaks, this is one of the most common vocabulary among kenyan students, in all levels. Basically, mwaks is any written material sneaked into the exam room with an aim of being referred to, illegally of course, during the exam. Many students spend their school days doing everything, except that for which they are in school and are more than often caught off guard when exams are announced. This creates a panic and a call for a solution, usually mwakenya.

Personally I do not approve of this practice and I do everything to stay clear of it, after I tried it a couple of times in high school and realized, painfully, that it really isn’t my thing. As a matter of fact I wouldn’t even have written about it had I not read in a recent paper that a student from Kenyatta University was set to launch a new computer program called mwaxx to help students with notes, class updates, learning videos among other things. I thought it was really creative turning such a despised idea into a celebrated creation, to be launched by top university dons. That’s the Kenya we want.

Only one question remains though; will students be allowed to access this innovation inside the exam room, as is the traditional purpose of mwaks or will this just be like some kind of custom made Google? I hope not, but then the mwaks concept is hard to kill, and I bet students will always come up with even greater ideas and ways to cheat in exams.

September 20, 2012 David Omondi

Nairobi Legs



Sunday afternoon at aga khan sports centre where I work, there is not a lot of people at the gym which means I get to squeeze in a workout myself. This particular day is the second session after a week’s taper and am on legs and pecs and a little ab work. On this day, I perform some of the most famously difficult and super effective exercises such as squats, dead lifts and bench press among others. My workout grinds for 2 hours straight and at the end of it all I need is a shower and a meal of githeri, rice or chapos, avocadoes and milk or tea.



Many people shy away from exercising their legs because the exercises involved are super difficult and instead spend a lot of time on benches, rows and curls which gives the effect of a Johnny Bravo kind of body. Men in Nairobi say that, “mwanaume ni kifua, chini trouser itafunika” which translates to “a man is his chest, trousers cater for the legs”. When I started out before I went to study exercise science, I believed in this same phrase, though I never got many opportunities to work out like the rest of the people I know. In a way am glad for that now because I have lots of opportunity to work out at a world class gym with world class equipment and world class knowledge.

Back in the day our equipment was made from cement and concrete and joined by steel water pipes. I remember making a few my self. The problem with these was that one could not be sure of the weight, or whether either side of the bar had equal measure cemented to it..!



Right now many people working out in Nairobi have access to standard equipment and knowledge, thanks to the internet, and Google. Many I see come to the gym are trying to lose something (women), or gain muscle (men); I have seen very few women say they want to gain muscle, in fact Kenyan women hate muscle..!

September 13, 2012 David Omondi

ナイロビを読む:〈導入編〉『NAIROBI TODAY』と『ケニアを知るための55章』



読んでナイロビを楽しめる本を、いくつか取りあげます。今回は〈導入編〉として、『NAIROBI TODAY』(IFRA、2010)と『ケニアを知るための55章』(明石書店、2012年)。前書の副題に「The paradox of a fragmented city(ばらばらな都市のパラドックス)」とあるように、ナイロビという都市は一つのまとまった性格を定めることはできず、いくつもの全く異なる文化・社会・歴史的背景をもった地区やコミュニティが隣り合わせに集まっているため、一つの視点や一人の口では語ることができません。そんなナイロビの性格を良く反映して構成されたのが上記2冊の本(後書はナイロビだけでなく「ケニア」全体がテーマですが)。複数の著者が、それぞれの視点と経験、研究成果から捉えた具体的なものだけを丁寧に記述しており、それらが沢山寄せ集まってナイロビ像、なんとなくナイロビ的なものを心に残してくれます。

『NAIROBI TODAY』は、ナイロビに拠点をおくフランス国立アフリカ研究所(French Research Institute in Africa:略称IFRA)のもとで、2000年6月から数年にわたって研究者グループが調査した成果をまとめた論文集。フランス語で書かれた原著の英語版になります。各テーマはさまざまで、植民地時代から独立後の現代にいたるまでの都市計画に着目して上下水道システムやゴミ収集事業などを取り上げたものから、インド人コミュニティやムスリム・コミュニティのなかの複層性や、近年増えているキリスト教ペンテコスタ派の特徴、マタツ産業やカージャック/スリなどの地下経済の規模の大きさを統計的に述べたもの、ナイロビの政治的デモ活動の変遷と場所的特徴など。それら13の論文からなります。

『ケニアを知るための55章』は、長年にわたり研究や仕事、NGO活動などでケニアと深く関わってきた38名の執筆者が、各自の得意分野と地域について自由に語ります。論文形式の前書とは異なり、平易な日本語で書かれています。「ケニア」を知ることが表題なので、北は乾燥地帯のトゥルカナ地方から東はアラブ文化が色濃く残る海岸地方まで、ナイロビ以外の多様な地方を舞台にして書かれたものや、ケニア政治体制の移り変わりや経済動向について書かれたものまで、前書以上に幅広いテーマからなります。しかし、ナイロビに暮らす人たちの多くがナイロビから遠く離れた故郷とのつながりを強くもっており、ナイロビの地方政治はケニア全体の政治経済システムに包含されることを考えると、ナイロビよりもっと大きな視点を提示してくれるこの本もナイロビへの導入としてぴったりな一冊といえます。

ケニアは言葉も自然環境も異なる40以上の民族からなり、ナイロビは成立背景も住民構成も異なる50以上の区画からなっています。ナイロビ全体について大まかに一くくりでまとめて語られたものよりも、それぞれバラバラな断片に焦点をあてて具体的に描かれたものを沢山集めてくるほうが、やっぱりナイロビ/ケニアらしさを楽しめる一冊になるなぁと、当ブログ「ナイロビ・バラバラ」の神髄にも通じている2冊でした。

2012年9月11日 西尾咲子

条件を変換するアート



○○を△△に。
ある条件を変換するアートの技術。
そんな視点で、西尾工作所ナイロビ支部の活動を改めてご紹介します。

まずは先行事例から。簡単に思いついたものだけ。

便器を美術作品に(マルセル・デュシャン「泉」
駐車場をギャラリーに(木村稔「Parking Project」
屋外彫刻をホテルに(西野達
電気街をギャラリーに(コマンドN「秋葉原TV」
商店街をギャラリーに(藤浩志「まちかざりの実験:デコポリ」
電車をランウェイに(keisuke kanda:1999年
AV女優をファッションモデルに(keisuke kanda:2005年
ゴミをファッションに(writtenafterwords「graduate fashion show -0 points-」
車両を住まいに(坂口恭平「モバイルハウス」


つぎに西尾工作所ナイロビ支部の過去プロジェクト。

通行人を役者に(Self Select in Nairobi
公共空間を試着室に(Self Select in Nairobi
レストランをギャラリーに(Self Select in Nairobi
屋外をアトリエに(Overall: Steam Locomotive
線路をランウェイに(Overall: Steam Locomotive
広告塔をスクリーンに(STRA Billboard by 松原慈&Otieno Kota
新聞スタンドをギャラリーに(STRA Newspaper by 松原慈
家をギャラリーに(Home_N Gallery
窓を絵画に(Ana Mdomo
路上をランウェイに(Kangaeru
一般ケニア人をアーティストに(Self Select: Nairobian in Loughborough
アフリカを活動拠点に(参考「なぜアフリカか?(西尾美也の場合)」
一般ケニア人をツアーガイドに(ミステリーツアー企画


最後に思案中のプロジェクトについても大公開。詳細は想像してお楽しみください。

停電を作品鑑賞に(参考「停電とアイデア」
路上販売をインスタレーションに(参考「日常に配置されるモノたち」
頭上をギャラリーに
マタツをギャラリーに
バスを舞台に
洗濯干場をギャラリーに
荷物をカバンに
お土産をアートに
髪を帽子に
呼び込みを合唱に


2012年9月6日 西尾美也

Ugali saucer



Perhaps the most famous member of the saucer family is ugali saucer, basking in the limelight of ugali’s fame in Kenya. In Nairobi, and the entire Kenya, ugali saucer is a lifestyle. Let me explain; the concept of saucer occurs when you are eating a meal, for example ugali, beef and sukuma and the ugali runs out before the rest. Culturally, and socially, it is unacceptable to eat the remaining food without ugali, and the restaurant or café or eating joint then is obliged to give extra ugali to enable the customer finish their food, comfortably, without turning any heads. The twist comes when the customers intentionally finish their ugali before the rest of the food, like I always do and then invoke the saucer concept, and it turns to comedy when they do it twice or thrice; some will even change tables after invoking the first two rights to ugali saucer, so as to confuse the waiter and get a third free extra ugali!

The saucer concept can be applied to many meals such as tea, porridge, cabbage, sukuma etc as long as the place you are eating at is not top class, as in super expensive or management has not put a ban on saucer, as they like to do. Also, there are foods for which you never invoke this concept, for example chapatti, mandazi, fish, meat, pilau, chicken and most stews, or maybe I should just say most delicacies. Of course general knowledge will dictate that you must never ask for anything saucer when out on a date, unless you are playing dumb, or you actually are. Whoever invented the saucer concept must have thought about it for quite a long time, so much that it is a right owed by food people to Kenyans. I wonder whether it exists in other countries, maybe they haven’t discovered it yet.

September 4, 2012 David Omondi


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